「私」について.「私」とは,皮膚の内側だけなのか.自分の考えでは違う.「私」は私自身の身に纏うモノも含む.服を掴まれた際に「私に触れないで」と発言することが不自然でないことから,想像しやすいだろう.では,場はどうか.家などの私的なスペースに見知らぬ人が存在場合,自身に何の危害を加えなくても不快感を抱くだろう.それはその場が「私」の構成要素たりうるからかもしれない.場を構成する人の話が出たので人について.周囲の人間によって「私」の行動や感情が変化することに共感する人は多いだろう.これに関しては外部との相互作用との捉えることもできる.しかし,これは「私」のアーキテクチャとして存在している.以上のように考えていくと,「私」が皮膚の中に収まるものではないと考えられる.このした発想により,最近私は「私」をバケツに落とした絵具のように捉えている.絵具の中心は限りなくその色に近いが,離れるにつれて薄まる.バケツには様々な絵具が落とされる.赤と青の間にはグラデーションが生まれる.そこに不可分.色と色が混ざり合う箇所(それは無数に在る)では新たな色が生まれている.新たな色とは「私」.しかし絵具に用意された色ではない.それが集団.集団にとっての「私」.落とされた絵具の周辺には複数の色が生まれる.それぞれ全てが「私」.多面的な「私」.これが私の「私」観